無縁の民
オタクという言葉は、私が物心ついた頃は一種の差別的ニュアンス(freaks)を伴って扱われていた。しかし現在では、歴史学者・網野善彦の言う「無縁」の人々としての色彩を強く帯びている。世俗的なしがらみから離れ、独自の原理によって自発的に連帯するあり方だ。
「無縁」とはヨーロッパにおけるアジール(sanctuary / 聖域・自由領域)に通じる概念である。コミティアなどの即売会空間では、実社会での肩書、年齢、社会的地位といった世俗のステータスが一度無効化され、純粋な創作への熱量の結晶のみが流通する空間が立ち現れる。既存の共同体規範から離れ、技術や表現という別の結びつきの中に生きるという意味で、ここは紛れもなく現代のアジールといえる。
だが現代において、経済活動の主たる担い手である企業、そして政治は、徹底して「クリーンさ」を追求せざるを得ない。コンプライアンスの欠如は、即座に株価の下落や支持率の低下という形でフィードバックされるからだ。その結果、投資家や大衆による検閲的な圧力が凝縮されたガイドラインに沿ってしか活動できなくなり、これが表現の場に強い息苦しさをもたらしている。
皮肉なことだが、こうした包囲網の中でアジールとしての自由を守り続けるためには、アジール側自身が高度に世俗化し、自らの権利を主張・防衛するための組織力や政治的発言力を持たなければならない。