向日葵
今年初めての向日葵を見つけた。いったん帰って、R3で撮ってきた。西の方ではもうたくさん咲いているだろうか。来年は庭に植えてみようと思う。途中でテクスチャになりそうな画像をガシガシとってきた。何かの着想になればこれうれしきかな。

このところかなり気分が落ち込んでいたが、身の回りモノも観察したり、プログラムを書いたり、AIと話したりするうちにまたよくなってきた気がする。思えばいつも落ち込んでいないことなんてあるのだろうか。世俗の人はそれをとても上手く隠しているように見える。でもそれができない人間がこの時空に存在したっていいんじゃないか。病み状態が明けてからそう思うようになった。弱みをうちあけると、時にはその人から拒絶されることも当然あるし、事実起きてきたが、それは一つの観測点に過ぎない。物理法則でさえ、常に揺らぎ、定まらないノイズを抱えたままで、この時空に確率の波として漂っている。それ自体が、きわめて自然な存在のあり方なのだ。決定論的な美しい結晶である必要なんてない。
表象としての自然であることを愛すことで、現存在を肯定しよう。
willenlos, schmerzloses, zeitloses "...so that one can no longer separate the perceiver from the perception, but the two have become one, since the entire consciousness is filled and occupied by a single image of perception;
if, therefore, the object has passed out of all relation to something outside itself, and the subject has passed out of all relation to the will, then what is thus known is no longer the individual thing as such, but the IDEA...
and for this very reason, the individual who has plunged into this perception is no longer an individual, for in such perception the individual has lost himself; he is a pure, will-less, painless, timeless subject of knowledge."
ここまで書いていったん保存する。きのうは、書いている途中で終わってしまった。でもそれはよくあることだ。書いただけで良しとしよう!
“Zwei Dinge erfüllen das Gemüt mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: Der bestirnte Himmel über mir und das moralische Gesetz in mir." ― 「我が上なる星空と、我が内なる道徳律。これら二つのものは、そのことについての反省がしばしばまた長く続けられればられるほど、常に新しくかつ増大する感嘆と畏敬とをもって、心を満たすのである。」”
... 少し哲学の入門書をひもといてみたけど カントによると、自分の今を認めることば、道徳律に従った正しい考え方なのだそうだ。 つまり「自分の損得を乗り越えた結果、出てくるものでなければならない。」という道徳的な考えだ。振り返ってみたらそういうことを今まで何回もしてきた。人間であることはこういうことなのか、ということを今初めて知った。自分の礼賛するための詭弁なのかもしれないが、もう少し深く考えるものであることには間違いないはず。この考えのベクトルを向くには、多くの時間と傷を負ったがもう迷わずに進んでいきたい。今日は本当に価値がある日だと思った。
気力があったらもう少し書き続けよう。
ここを読んだら今日は寝る https://plato.stanford.edu/entries/kant/#KanCopRev