振り子
ふとした瞬間、自分が大きな振り子の上に乗せられているような感覚になる。 一方には、生活や日々の課題に追われる「困窮」の苛立ちがあり、反対側には、すべてが満たされた途端に訪れる「退屈」の虚無がある。
苦しい時は早くこの波から逃れたいと願い、波が引いて平穏が訪れると、今度はその静けさに耐えられなくなる。どちらの端に振り切れても、心は本当の意味での「安らぎ」を得られない。 今、自分はその振り子が描く弧の途中で、ただ揺れに身を任せながらこの文章を書いている。
退屈と困窮の振り子という言い回しはショーペンハウアーの受け売りなのだが、いまの生活を見返すとこの振り子が刻む音が本当に聞こえてくる。ある日は交通事故に遭い、休職中である身である以上空虚な日々をすごしている。これも何度も書いていることだが、そこから救い出してくれるのは創作の時間なのである。
振り子の刻みはたくさんの現実世界のノイズを奏でる。しかし振り子が中心に来る一寸だけ、本当の純粋な創作の時間が得られる。 不確定性原理でいう時間とエネルギーの反比例関係からいえば、膨大なエネルギーをそこに注入しないとなせないものだ。
今の自分は生ぬるい。